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東京高等裁判所 昭和40年(ネ)1298号 判決 1967年1月26日

控訴人 辺見正平

右訴訟代理人弁護士 米田俊夫

被控訴人 初子こと 酒井はつ

右訴訟代理人弁護士 橋本順

三森武雄

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

<全部省略>

理由

本件建物は、もと被控訴人の所有であったが、昭和一九年中国に売り渡され、海軍省の所管となったこと、終戦により右建物は大蔵省に引き継がれ東京財務局の所管に属するにいたったことは、当事者間に争いのないところと認められる。<省略>を総合すると次の事実が認められる

一、被控訴人は終戦後本件建物の払下と使用許可をえるため所轄官庁に願い出で、陳情を重ねた結果、昭和二一年六月二二日東京財務局長から右建物についての一時使用を認可された。しかし、右建物は、当時進駐軍により接収されていたため、払下をうけるにいたらず荏苒年月は経過していった。その間被控訴人は当時東京財務局に勤務していた控訴人を知り、右建物の払下につき必要な協力を依頼すると共に、何かとその助言をうけるようになった。そして、控訴人の指示に基づき、被控訴人は、同人が未亡人であるところから、建物の使用目的を戦争未亡人厚生授産施設として接収解除の申請をし、昭和二三年夏には東京財務局横浜地方部の職員とともに進駐軍司令部に直接嘆願した結果、同年一〇月一日接収解除となり、同月一四日横浜地方部との間に同年九月三〇日付で払下代金を二三四、六〇〇円とする国有財産売払に関する契約が成立するにいたった。右払下については、控訴人の助力に負うところが多かった関係もあって、その頃から被控訴人と控訴人は親密の度を深め、控訴人は足繁く被控訴人方へ出入りしていた。

被控訴人は、当初払下代金を封鎖預金で納入する考えでいたが、封鎖預金等支払許可申請は、すでに不許可になっていたので、右代金と払下の結果賦課されることになる税金の額との金策を、前記のように親しくなっていた控訴人に依頼した。控訴人は右依頼に基づき、横倉善兵衛から二〇万円を借用し、これに被控訴人の手持金三四、六〇〇円を加えて同年一一月三〇日被控訴人の名義で払下代金の納入手続を済ませ、本件建物は被控訴人の所有となった。

二、控訴人が横倉から借用した二〇万円は、控訴人が自ら同年一二月中及び同二四年二月中に元利金共返済したが、控訴人と被控訴人との間では、結局右金額を被控訴人が控訴人から転借した関係となり、被控訴人は控訴人が被控訴人方に出入りしていた前昭和二四年頃から一、〇〇〇円ないし三〇、〇〇〇円程度の金員を控訴人から求められるままに、同人に対し或は弁済金として或は貸金名義で、或は洋服代、時計代、靴代等の名義またはその立替金として数十回にわたって弁済した。

三、被控訴人は、払下をうけた建物を、弟池沢正光に管理させるとともに、昭和二四年七月頃東京都に無償で貸与し、昭和二五年からは東京都生活協同組合連合会に一ケ月一〇、〇〇〇円の約定で貸与し、その間屋根修理代金や通路盛上工事代金等の管理費用を負担した。控訴人は昭和二八年退官した後、被控訴人の世話で本件土地附近に開設された海の家の仕事に従事したことはあるが、それ以前に本件建物及びその敷地を管理したことはない。

四、昭和三一年にいたり京浜急行電鉄株式会社から本件建物と敷地の買収申込があったが、被控訴人は右土地建物共に手取り坪当り一万円でなら売却してもいいと考え、その交渉一切を控訴人に委せた。その結果、昭和三二年三月二八日代金を土地建物共に坪当り一万円の割合により二一、五三六、九〇〇円(内建物代金は二、六五〇、〇〇〇円)とし、売買により被控訴人に賦課される譲渡所得税及び資産再評価税は買主の負担とする約定で売買契約が成立し、被控訴人は同日手付金として三、〇〇〇、〇〇〇円、同年五月二〇日残代金全額の支払をうけた。右売買契約においては、不動産売買契約書(甲第一号証、乙第一六号証)のほかに覚書(甲第二号証、乙第一七号証)が作成されたが、これは節税のために、契約面上は坪当りの単価を半額の五、〇〇〇円とし、残余の半額については、売買目的物件の負担抹消の補償金という名目を用いて別契約の形をとったためである。なお、右契約にあたり控訴人は被控訴人の諒解の下に協力費という名義で右会社から一、五〇〇、〇〇〇円の礼金を取得した。<省略>控訴人は、前記払下にあたり、本件建物は、控訴人と被控訴人の共有とし、控訴人の持分を三分の二、被控訴人の持分を三分の一とすることを約したと主張し、さらに、当審において、当事者間にいわゆる内的組合関係が成立したものの如く主張するけれども、前記措信しない証人の証言及び控訴人本人の供述を除いては、右事実を認めるに足る措信すべき証拠はない。なお、控訴人はその本人尋問に際し、京浜急行との売買にあたり二通の証書を作成したのは、土地の代金額については、本件建物が土地利用権を有している関係でその半額を右利用権保有者に支払うため売買本契約から除外して覚書に記載し、建物の代金額については、その半額を池沢正光の移転補償金の支払いに充てるため右同様覚書に記載したものである趣旨とみとめられる、あたかも本件建物が共有であることを前提とするような供述をした。しかし、甲第一、二号証をつぶさに検討しても、本件建物が控訴人と被控訴人との共有であることおよび土地の代金額をその利用権の価格に相当する部分とその余の部分とに分けたことが窺われるような記載はなく、池沢に対する補償金は契約書第八条に明記してあるとおり被控訴人が負担することになっているのであるから、殊更に京浜急行側で負担すべき理由を見出し難いので、右供述は到底信用することはできない。さらに、成立に争いのない甲第七ないし第九号証、当審における控訴人本人尋問の結果によって成立を認める甲第一二、第一三号証は、控訴人が本件建物及び敷地使用権の共有権者として、これを管理していた証拠に供しようとするものの如くであるが、甲第七ないし第九号証は、その作成の日附からしてすでにその証拠となし難いことは明らかであり、甲第一二、第一号証が控訴人の手裡に存する事実によっては、いまだ前記認定を覆えし、控訴人の主張を裏付ける資料とはなし難い。

次に、成立に争いのない乙第一〇号証、原審証人池沢正光の証言、原審および当審における被控訴人本人尋問の結果によれば、控訴人は、京浜急行との売買の成立後、被控訴人に対し、有利に売ってやったと称し、四、〇〇〇、〇〇〇円の報酬を要求し、売買に関する一切の書類の引渡を拒んでいたが、被控訴人の弟池沢正光の斡旋により、昭和三五年四月一九日控訴人と被控訴人間で、前記売買の成立に関する控訴人の報酬の額を二、〇〇〇、〇〇〇円とし、すでに被控訴人から控訴人に立替支出してある一七六、〇〇〇円(これは乙第一一号証の一ないし五〇とは別途の貸金である―原審における被控訴人本人の供述、記録二九〇丁裏参照)を差し引き、残額一、八二四、〇〇〇円を関係書類と引換に控訴人に支払う旨の示談が成立し、同年六月一三日被控訴人は控訴人に右金員を支払い、同時に控訴人から右関係書類の引渡をうけ、ここに当事者間の一切の紛争は解決するにいたったことが認められる。したがって、本件払下ないし京浜急行への売却に際し、仮りに控訴人の主張するような契約があったとしても、それに因る控訴人の権利は、右示談契約によりすべて消滅するにいたったものといわなければならない。この点に関する原審および当審における控訴人本人の供述は、これを信用しない。

以上のとおりであって、控訴人の請求は、その余の判断をするまでもなく理由がないから、これを棄却すべきであり、これと同趣旨の原判決は相当であるといわなければならない。<以下省略>。

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